久しぶりの高熱
先日、私が突然の高熱で寝込んでしまいました。39-40℃の熱。こんなに高熱をだすのは久しぶり。
結局、溶連菌でした。
起き上がるのも辛くて、家事どころか水を飲むのもやっと。
そんな中、子供たちが本当に頑張ってくれました。
上の子は洗濯物を取り込んでくれたり、料理をしてくれたり。下の子たちも「ママ寝といてね」「ぼくがやるよ」「何か欲しいものある?」と声をかけながら、お手伝いをしてくれたり。
自分たちなりに協力しながら家のことを回してくれる姿に、思わず涙が出ました。
「大きくなったな」
「優しい子に育ったな」
そう心から感じられた瞬間でした。
一方で、義母。
同じ家に住んでいるのに、かけてきた言葉は

無理せんといて
だけ。
実際に何かをしてくれるわけでもなく、食事を作ってくれるわけでもなく。
本当に一言だけで、あとは何事もなかったかのように過ごしていました。
正直、全く何の役にも立たない。
同居している意味がどこにあるのか、心の底から疑問に思いました。
まとめ
「家族だから助け合える」
「同居しているから、いざというときは支え合える」
そういう理想をどこかで信じていました。
でも現実は、私が倒れたときに助けてくれたのは子供たちだけ。(夫は休みの日には全力でフォローしてくれました)
大人であるはずの義母は、何一つしてくれない。
むしろ、子供たちの方がよっぽど頼りになるし、思いやりがあります。
今回の出来事で改めて感じました。
私にとって「支え」になるのは、子供たちの優しさだけ。
同居していても、義母に期待することは何もない。
結局、「同居の意味なんてないんだ」と思い知らされる出来事でした。
以前にも同じ思いをしましたが、また同居の意味のなさを痛感する出来事でした。