こんにちは。
ド田舎で、夫の両親と同居中。同居を始めて10年以上が経過しています。
七五三の写真撮影へ
子供の七五三。親としては特別な日です。
息子の5歳の撮影。末っ子のため、撮影するのも最後かな-っと思い、写真撮影に行きました。
「主役は子供」
「子供の成長をしっかり残したい」
そう思って、写真撮影に行きました。
「〇月〇日、753の写真撮影に行く」ということを知ると、
義両親も当然のようについてきました。
正直、嫌な予感はしていました。
子供だけで撮りたいのに…
撮影の途中、スタッフが
「皆さんで撮りましょうか?」と声をかけてくれました。
私はすかさず

子供だけで
と答えました。
そのつもりで、夫も私も普通の私服を着ていました。
夫も

子供だけでいいんじゃない?
と事前に言っていました。
それなのに、スタッフは
「みんなでとか、おじいちゃん、おばあちゃんだけととか、お父さんお母さんととか、色々できますよ」
と余計な一言を。
子供だけでいいと言っていた夫が、

みんなでとる?
と言い出したり、
義父が

遺影撮影してもらおうかな
と言い出したり、
義母は

みんなでとったらいいのに
と言い出し、子供達も
「みんなでとる」
と言い出し、
結局、私以外は全員が「みんなで」と流されていく。
私の意見は完全にかき消され、集合写真を撮る流れに。
ここで本当に思うんです。
「遠慮なく、当たり前のように入ってくる義両親。ちょっとは“私たちはいいわ!子供達で撮りなさい”という気持ちはないの?」
そういう配慮の一言が、どうして出てこないのでしょう。
祖父母と孫だけのショット
極めつけは、祖父母と孫だけのショット。
義母はまるで自分が主役かのように前に出てきて、孫と並んで笑顔。
私からしたら「七五三って何のための行事?」と疑いたくなる瞬間でした。
子供の成長を祝うのは親の役目であって、祖父母が前にしゃしゃり出るものではない。
義母にとっては「孫と自分のためのイベント」なのかもしれません。
でも、親の私からすると、それはただの横取り。
義母の存在感に押しつぶされる
同居をしているせいか、義母はすべての行事に「当然のように」割り込んできます。
運動会、発表会、参観、そして七五三まで。
「自分が出て当たり前」
「自分も写って当然」
その態度に、もううんざり。
親の立場なんて関係なく、義母のアルバムづくりに付き合わされている気分です。
本当に残したかった写真は
私が撮りたかったのは、子供の笑顔、子供の成長の証。
でも、出来上がった写真には義両親がしっかり写り込み…。
みんなで撮影するのであれば、そのような服装を大人もして、私の両親(父はなくなっていますが)も一緒にうつってほしかった。
何故、義両親だけ写真を堂々ととるのでしょう。
七五三は一度きり。取り戻せないからこそ、余計に悔しさが残ります。