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普通に暮らしている30代パート主婦が遺伝子検査を受けた話

海 身体のこと
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こんにちは。今回から同居には関係のない記事を少し足していこうかと思います。

生活には関係があり、生きていくために、必いいい情報になると考えています。

少しでも参考にしていただけたら嬉しいです。

それは、

遺伝性乳がん・卵巣がん(HBOC)

です。

これは、遺伝性の癌の一つです。

実際に癌と診断され、遺伝子検査を受け、HBOCと診断される人は多いです。

私の場合は父が遺伝性の癌と分かり、自分自身も検査を受けました。

実際に癌と診断をされてから、遺伝性だと分かる方はたくさんいるようですが、癌になる前から遺伝検査をうけるという人は、ネットで検索してもなかなか目にすることはなく、どなたかの参考にしてほしいと思います。

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はじめに

まずは、私の父について書かせてください。

私の実父は、2022年の春に癌と診断され、2023年夏に亡くなりました。66歳の誕生日でした。

父は働いており、元気で、大きな病気をしたことがありませんでした。

コロナ禍ということもあり、なかなか実家に帰省することもなかったのですが、2022冬に実家に帰った際、父を見ると背中に肉がついていました。

yumeyome
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どうしたの?浮腫じゃない?大丈夫?

と冗談っぽく父に言ったのを覚えています。

元々、蛙腹な父でしたが、背中が膨れていたのは少し違和感を覚えました。

2022年の春、父から

「足が少し浮腫むんだよね」と言われました。みると左足だけ浮腫んでいます。疾患もないのに片方の足が浮腫むというのは心配で、「心臓とか見てもらって、レントゲンでもいいからとってきて、採血も。」とお願いして、次の日に半ば強引に近くのかかりつけの内科医のところに行かせました。

そこで、レントゲンと心電図をしましたが、特に何も異常がなかったと言って帰ってきました。採血もしたと言って帰ってきました。

数日後、採血結果がでたが、何も異常がない。

しかし、腫瘍マーカーのCEAという値が5でした。先生からは「少し高いけど、この程度なら心配ないね。気になるなら、総合病院で検査しようか。予約は数か月後になるけど」と言われました。

私は背中の膨らみ、腫瘍マーカーの上昇ですごく嫌な予感がして、どうしても今すぐに総合病院で検査をしてほしいとお願いしました。

でも、父は、地域の診療医が大丈夫といったなら大丈夫だと、検査に行こうとしません。

元々病院嫌いで、怖がりの父でした。すんなりと病院へ行こうとはしません。

父と初めて大喧嘩をし、母に間に入ってもらい、紹介状を持って総合病院にいってもらいました。

総合病院で

消化器内科に受診し、CTを撮影。

先生は「何でこんなになるまでそのままにしておいたんですか」と怒ったそうです。

父のお腹は腹水が溜まっていました。

先生は胃癌の末期だと父と母に言い、すぐに胃カメラをしました。しかし胃カメラをしても、胃の中は綺麗でした。

その日は腹水を7L抜き、帰宅。7Lを抜いたことは、私は今でも怒りを覚えます。

腹水からは癌がでてきました。

結局、父は腹膜播種がある状態でした。

しかし、何の検査をしても、原発の癌がわからず、病名は『原発不明癌』。ステージ4と診断されました。

遺伝子検査

その後の治療や、対応には先生、看護師にも不信感しかありませんでしたが、そこを書くと長々と悪口を書く状態になるため、省略します。

原発不明癌のため、臓器は異常がなく、採血では異常値が出ませんでした。臓器に異常がなかったため、体調にも変化があまりなかったみたいです。

しかし、後で聞くと、父は腹水から食欲がなく、体もだるかったそうです。肝心なことは何も言わない父です。

父は何の文句も言わず、ただただ生きたいという思いで、治療を頑張りました。原発不明癌のため、抗がん剤も予測でするしかありませんでした。

合わなければ、次の治療へ挑戦するというのを繰り返しました。

腹水は還元していましたが、30回以上抜きました。腹膜播種で腸閉塞もおこしました。12指腸にステントもいれました。

2022年の秋ごろ、奇跡的に体調がかなりよくなりました。

先生から「遺伝子検査を受けてみないか」と勧められました。

父と母で説明を聞きにいっていたので、詳しくは分かりませんが、遺伝子検査を受け、アメリカまで送り、その結果を日本でも解析し、正確な結果がでるまで1カ月程かかりました。費用は50万くらいですが、癌と診断されているので保険適応になりました。

父の場合、遺伝子結果が陽性であれば、治験薬が適応になるという状態でした。遺伝検査が陰性であれば、治療薬はないと言われていました。

結果は陽性。しかし、その治験薬を受けるまでに、すい臓がんの抗がん剤治療をする必要がありました。

結果がでるまでに、父は腸閉塞を繰り返し、完全に腸のいくつかの場所で閉塞をおこしてしまい、食事が摂取できなくなり、すい臓がんの抗がん剤を1回受けるのがやっとの状態になってしまいました。

結局、治験薬を受けることはなく、最後まであきらめなかったのですが、父は亡くなりました。

父や母からは遺伝子検査で陽性だった時に

「子供らも、遺伝している可能性はあるから、検査してみてもいいって。しなくてもいいみたい。遺伝性だとしても、いつ癌になるかは分からないみたいだよ」

と聞かされていました。癌の治療中だった、父母や家族にとっては、遺伝検査が陽性だったから治療できるという安心感の方がありました。

そして、遺伝子検査が陽性と分かった時点で、家族にも話しができると言われていましたが、その後父の容態が急激に悪化したこともあり、そのままになっていました。

父の妹も

父の妹も5年程前に癌でなくなっていました。父は3人兄弟で兄と妹がいます。仲がいい方ではなく詳しくは聞いていませんでした。

父の葬儀の際に、遺伝の癌だったということを話したら、父の妹の夫から、実は父の妹も遺伝だった、父と一緒の遺伝だったという事を聞かされました。

なぜ教えてくれなかったのか今となっては、腹が立ちますがもう遅いことで、仕方ありません。

結局、3人兄妹のうち、下2人が癌でなくなったことになります。

父の妹は大腸がんで亡くなりましたが、子宮がん、乳癌、すい臓がんをしていました。亡くなる2年程前にあったときは、抗がん剤をしていると教えてくれていましたが、詳しくは聞いていませんでした。

私が遺伝子検査を受けるきっかけ

父が亡くなり、半年がたったころ、何気なく胸を触ったときにしこりがある気がしました。

私は以前にもしこりがあり、検査をしていたので、気になりました。

父が遺伝性の癌だったということは頭にはあったので、気になりすぐに病院に検査に行きました。そこで、父のことを話すと、先生が

遺伝子検査を絶対に受けた方がいい。癌は50%の確率で子供にも遺伝する。遺伝性だと分かると、今後が色々変わってくる。必ず受けた方がいい。

と言われました。

医療の知識がなく、遺伝子検査を受けた際は闘病の事で頭がいっぱいだった父や母は先生から、遺伝性と言われ、それがどれだけ家族に影響を及ぼすか、詳しく理解していませんでした。そんな両親から軽く聞いただけの私は、

「遺伝があるってわかっても、結局いつなるか、何の癌になるかなんて分からない。遺伝の検査するにもきっとお金かかるんだろうなー。」

と調べることもせず、放置状態でした。

まさか、こんなに重要な事だとは知りませんでした。看護師として働いていますが、知識不足でした。

この先生に勧められ、遺伝子検査を受ける決意をしました。

今回はここまでにします。また次回よろしくお願いします。

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