こんにちは。ブログに逃走中のyumeyoemです。
結婚し、子供が生まれてから夫の両親と10年以上同居をしています。
先日義母の誕生日でした。
義母の誕生日のひと言
誕生日の朝、義母に

おめでとうございます
と伝えました。
そのとき義母が放った言葉は、

6と6でゾロ目やわ。いつまで元気でいられるやろなー。次のゾロ目はまだ大丈夫やろな
と嬉しそうに話してきました。
本人は軽い冗談のつもりかもしれません。
でも私は、その言葉を笑って聞き流すことができませんでした。
ゾロ目に浮かれる義母
「ゾロ目」と言ってはしゃぐ義母。
その姿を見て、私は「はぁ…」と心の中でため息をついてしまいました。
次のゾロ目は10年後。つまり「まだまだ元気」ということを本人が言っているように聞こえて…。
今の性格に認知症がでてきたらどうなるのか、とても不安です。
まだ10年以上、この同居生活が続くと思うと恐ろしくてたまりません。
実父との比較でよみがえる思い
私の実父は、ちょうど66歳の誕生日に旅立ちました。
「66歳」という年齢は、私にとって特別で重い数字。
そのことを知っているのに、何故そのように冗談っぽくいえるのでしょう。
だからこそ、義母の「ゾロ目発言」を聞くと、胸がざわついてしまうのです。
あのとき、どうして父はもういないのに、義母は元気でいられるのだろう。
そんな風に比べてしまう自分も嫌になります。
「おめでとう」と言えない気持ち
誕生日と言えば「おめでとう」と言うのが普通ですよね。
でも、唯一「おめでとう」と言いたくない相手が義母です。
口に出すこと自体が重く、心から思えないのに、同居だから言わざるを得ない状況。
同居していなければ、きっと誕生日をスルーして過ごせたのに…。
距離が近い分、無理にでも関わらされる。それがまたしんどい。
そして、プレゼントが欲しいという、圧力。
ちなみに今年はまだ渡せてません。
同居だからこその複雑さ
同居していると、誕生日や記念日も避けられません。
家族全員でお祝いモードにしないといけない空気が流れる。
でも内心は、笑顔で「おめでとう」と言えない自分との葛藤。
こういう時、同居って逃げ場がないなと痛感します。
誰かに共感してほしい
誕生日は本来、喜ぶ日。
でも私にとってはモヤモヤと苦しさが募る日になってしまいました。
義母の誕生日に同じように「複雑な気持ち」を抱えたことのある方、いませんか?