こんにちは。
先月、歯茎に腫瘍ができて、治療をしました。
そのときの私は、こぶとりじいさん のように顔は腫れている。
激痛。
何をするにもつらい。
歩くのもつらい。
もちろん仕事にも行けない。
ご飯もまともに食べられない。
子どものこともできない。
そんな状態で、家の中でひたすら耐えていました。
珍しく義母が「ご飯しようか?」
そんな私を見て、義母が珍しく言いました。

あんた、それ無理やろ。ごはんしようか?
と。
私は
え?
ご飯、作ってくれるの?
と、かなり驚きました。
同居生活の中で、私の体調が悪くなり、義母がご飯をつくってくれることも、助けてくれることも全くなかったからです。
そして、嬉しかったです。
正直、子供のご飯をつくる余裕はありませんでした。
弱っているときって、普段なら期待しないようなことにも、つい期待してしまいます。
今まで何度も裏切られてきているのに、忘れてしまします。

いいんですか?お願いします。
と、言いお願いしました。
義母の「ご飯しようか」の答えは
少したつと、

あんたは食べれんのやな?
と確認してきました。

食べれないので、適当におかゆとかします。
と答えました。

18時くらいかな。
と言われ、待っていました。
なんと、義母が準備したのは、
コテコテの中華弁当。
しかも、義父が仕事帰りに買ってきました。
しかも、子供の分だけではなく、義両親もそのお弁当でした。
義母、自分の分も購入したのです。
……あれ?
私のためじゃないの?
いや、もちろん、買ってきてくれたこと自体はありがたいのですが。
結局、
「夕食を作りたくないから、私が体調を悪いことを理由に、お弁当を買ってきてもらいたかっただけでは?」
と思ってしまいました。
もちろん、これは私の勝手な解釈です。
でも、今までの義母の行動を考えると、そう思ってしまいます。
2週間後、実家へ行った
それから少し経った頃。
父親の法事があり、実家へ行きました。
私がまだまともにご飯を食べられないことを知った母。
すると、
「何か食べられるものを作ろうか?」
と。
そして、私だけ別におじやを作ってくれました。
野菜もたくさん。
ミンチも入れて。
食べやすいように、柔らかくして。
私が食べられるように。
そのおじやが、本当に美味しかったです。
もちろん、味も美味しかった。
でも、それだけじゃない。
「私のために作ってくれた」
という気持ちが、ありがたくて。
なんだか、泣けてきました。
ああ。
これが母親なのかもしれない。
と思いました。
同じ「母親」でも、こんなに違うのか
義母と実母を比べるつもりはありません。
本当に、比べてはいけないのは分かっています。
でも。
同じ「母親」という立場でも、こんなに違うのかと思ってしまいました。
私が食べられるものを考えて、栄養面も考えてくれる母。
私を使って、自分が夕食をつくらないように楽をし、私が食べられないものを買ってくる義母。
もちろん、義母に悪気はないかもしれません。
……たぶん。
でも、私はこのとき改めて思いました。
義母には期待しない方がいい。
「何かしてくれるかも」
と思うから、してくれなかったときに傷つきます。
毎回、それを感じるのに、不思議なことに忘れてしまいます。
「期待しない」と言いながら、私は期待している
たぶん私は、義母に期待しないと決めたと言いながら、
本当は、どこかで期待しているのかもしれません。
「体調が悪いときくらい、何か考えてくれるかも」
「食べられるものを作ってくれるかも」
「大丈夫?って、もう少し心配してくれるかも」
そんな期待が、心のどこかにあります。
だから、違う形で返ってくると、がっかりしますよね。
一方で、実家の母は、私が何も言わなくても、
「これは食べられるかな」
「これなら食べやすいかな」
と考えてくれました。
そして、私はそのおじやを食べながら思った。
私は、母に愛されて育ったんだな。
と。
そして、もうひとつ。
同居って、こういう小さな違いが積み重なっていくものなのかもしれません。
同居って、本当に難しいです。




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